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うみべのまち ver.1.2

言語化と、方向付けのためのログ

土地

そういえば、先月の終わり頃、5歳まで住んで居た土地に家族で行った。といっても今住んでいるところから電車で1時間半、車で1時間ほどのところ。大人になった今では行こうと思えばいつでもいける距離だけど、たまに思い出すくらいであの辺りにはずっと行ってなかった。特に用事もないし。

変わった場所ではなく、田舎でも都会でもないどこにでもある住宅街。でも空気がなんだか懐かしい気がしてしまう。5歳のときまで見ていた町の景色。家からあの公園までこんなに近かったっけ?とか、あの神社こんなに狭かったっけ?とか、記憶のなかと現実の縮尺が合わなくて不思議な感じだ。

保育園の送り迎えのときに毎日車で曲がった竹やぶのコーナーの緑が、大幅に減っててすこしせつなくなる。一角に群青した竹やぶから漏れてくる陽のひかりが好きだった。

人間には生まれた土地の水がずっと流れている、というどこかで読んだ言葉を思い出す。感覚的にはわかる気がする。物質としての水というより、自分のなかの深い水脈をめぐっている何かとして。

 

ただ1日を毎日生きただけで、もうこんなとこまで来たんだなあ。いま22歳。たしかにこの地にいたのであろう5歳の時の私。人生はたしかに流れているんだなあと当たり前のことをぼんやり思う。これからもすごいはやさで流れていくんだろう。40歳とか、60歳とかになったときに、今と同じように振り返って22歳のことを思い出すように。

なんだか取り返しのつかないものをこぼしながら、きらめかせながら歩いていくようで、すこし気が遠くなる。振り返ればいつもせつなくていとおしいけど、生とはそういうふうに眺めるものではないとわかってしまったので、自分の体がうごかせることや好きな場所へ行けること、自分の人生を自分が生きられることがうれしいし楽しいなとおもう。せっかくなので、精一杯手足をのばしたりして死ぬまで生きたい。