うみべのまち ver.1.2

言語化と、方向付けのためのログ

ブログがつづかない理由

さっき最新記事をちらりとみて、ブログが続かない理由にきづいた。「なんか良いこと書こう」と少なからず思っているからですね。いや、思考の整理にも方向付けにもならない愚痴や不満だけのからっぽな文章を書くよりは、「なんか良いっぽいこと」を書く方がいいのかもしれないけど、わたしの「良いっぽい」というのはモロに他者の視線を気にしている。言い換えれば、思ったことというより「人に読まれてもまあ激しい批判は受けないっぽいと踏んだこと」に調整して書いてる節がある。誰も読んでないのに。それじゃあ発信する意味、文章をつなげていく意味がない。

わたしは手帳や日記にさえ、感じたことを赤裸々に書けない人間です。大事なことであればあるほど書けない、誰かに見られたらという気持ちがどうしても強くこころにある。そのぶんネット上の文章はわたしの顔(からだ)とは結びついていないのでわりとほんとうのことを書くハードルが下がる。

そう、もっと素直に書こう。しかし文体というのは大きいな。文章を打ち込むときはいつも、文体に書かされている気になる。文章に内容なんてなくて、文体しか存在しないのではないかと思えてならない。文体が勝手に文体の行きたい方向へ進んでいき、わたしはいつも置き去りにされた気分になる。けれども”言いたいこと”なんてあっただろうか、欲望が貨幣を求めるのではなくて貨幣が欲望を生み出すように、文体が内容に先行する気がする。文体を鍛錬していきたい。量でしょうか。